Microsoftエバンジェリスト 高添さんに話を聞く!チャンネル登録者1万人突破記念インタビュー
この記事の内容
- 日本マイクロソフトのエバンジェリスト・高添さんへの特別インタビューをもとに、30年以上のITキャリアの軌跡を紹介します
- バブル期の就職活動からカスタマーエンジニア、トレーニング講師を経てマイクロソフト入社に至るまでの道のりを振り返ります
- 「教えることの楽しさ」に気づいたエピソードや、マイクロソフト入社時の面接秘話など、キャリア形成の転機となった出来事を取り上げます
- エバンジェリストとして12年以上にわたり「技術を広める」使命に取り組んできた高添さんの仕事観に迫ります
- 技術を先回りして届ける情報発信のスタイルや、「伝える力」を磨いてきた経験についても紹介します
はじめに:チャンネル登録者1万人突破記念の特別ゲスト
チャンネル登録者数1万人突破を記念し、日本マイクロソフトのエバンジェリスト・高添さんにお話を伺いました。
IT業界で30年以上の経験を持ち、現在も第一線で活躍されている高添さん。学生時代から現在に至るまでのキャリアの軌跡、そして「技術を伝える」という仕事への思いを語っていただきました。
キャリアの起点:福岡の少年がITに出会うまで
高添さんのITキャリアは1994年に始まります。
福岡の田舎で育ち、子どもの頃は大工だった父の影響で木工が好きな少年でした。ナイフで木を削り、犬や仮面を彫るなど、ものづくりへの興味が強かったといいます。
学生時代はスポーツ一筋で、野球やサッカーに打ち込みITとは無縁の生活を送っていました。大学ではサッカー部所属の強豪校に進むも、特待生が多くレギュラーにはなれず、アルバイトに集中することになります。早く自立したいという思いから「早く社会に出たい」と強く考えていたそうです。
バブル期の就職活動とITとの出会い
就職活動の時期はまさにバブル期。工業大学卒ということもあり、毎日のように企業から「入社してほしい」というハガキが届く時代でした。
地元福岡を離れるつもりはなく、福岡に拠点を持つ企業を中心に検討していた高添さん。その中で「これからITが伸びるかもしれない」と感じ、IT系の企業を選びます。
当時はまだパソコンも普及しておらず、企業内のITといえば汎用機やUNIXを使う一部の先進企業だけでした。そんな時代に、ものづくりが好きだった高添さんはハードウェアメーカーへ入社することになります。
初めての現場:工具箱を持って顧客対応の日々
入社後の配属は予想外のものでした。希望していた福岡勤務ではなく東京勤務となり、カスタマーエンジニア(CE)として関東一円を担当することになります。
プリンターなどの修理を行う日々は肉体的にもハードでしたが、顧客に感謝されることが何より嬉しかったと振り返ります。人との会話が苦手だった高添さんも、この経験を通じて自然にコミュニケーション力を身につけていきました。
転機:ネットワークの波と「教えることの楽しさ」
3年ほどCEとして働くうちに次のステップを模索し、ネットワーク部門への異動を希望します。ちょうどTCP/IPが普及し始めた時期でした。
しかし現実は厳しく、意見が通らず部門を追い出されてしまいます。そこで異動したのがトレーニング部門でした。最初は不本意でしたが、上司の「社会人としてやるべきことをやろう」という言葉に救われたといいます。
ここでMicrosoft技術を中心に学びながら、新人研修の講師として活動を始めます。教えることで自分が理解していない部分が見え、さらに学ぶ——そのプロセスが新鮮で、「教えることの楽しさ」を知ったと語ります。
スキルの深化とマイクロソフトとの最初の接点
ネットワーク資格やMicrosoft認定トレーナー(MCT)を取得し、Windows NT、Windows 2000 Server、Active Directoryなどを習得していきます。
名古屋のMicrosoftから「Active DirectoryやExchange Serverのトレーニングをしてほしい」と依頼され外部講師として登壇すると、評価が高く再度依頼を受けるなど、Microsoftとの関係が始まりました。
この時出会った名古屋の担当者が、高添さんの人生に大きな転機をもたらします。「合わない会社にいつまでもいるな」「人生を変えろ」と強く助言され、その言葉に背中を押されて転職を決意。履歴書を渡し、「自分の力で入っておいで」と送り出され、マイクロソフトへの道が開かれました。
マイクロソフト入社:正直さが評価された面接
外資系企業への挑戦には不安もありました。「英語が話せないとダメなのでは」と思っていたものの、実際には英語力を問われることはなく、技術的・人間的な対話が重視されたといいます。
最初の面接では「UNIXを使おうとしているお客様にどう説明するか」と問われ、「UNIXで行きましょう」と正直に答えた結果、不合格となります。しかしその正直さが評価され、パートナーチームの面接へと進むことになりました。
圧迫面接の中でも「失敗しても挑戦します」と答えた姿勢が評価され、採用につながります。入社後、マネージャーから「待っていたよ」と言われた瞬間、「この人についていこう」と心に決めたそうです。
パートナー支援からエバンジェリストへ
入社後はパートナー企業への技術支援やトレーニングを担当します。製品情報や方針をいち早く伝えることで、企業のポテンシャルを最大化する仕事でした。
初期は日立製作所グループを担当し、素晴らしい技術者たちに多くを学びます。その後、HPやIBMなど外資系企業も担当し、各社のプロフェッショナルな姿勢に刺激を受けたといいます。
4年ほど経った頃、社内のスペシャリストから「インフラ系エバンジェリストチームを作るから来てほしい」と声をかけられます。ここからエバンジェリストとしてのキャリアが始まりました。
エバンジェリストという仕事:技術を「広める」使命
当時、エバンジェリストは業界全体に影響力を持つ存在でした。高添さんは第2世代として、Active Directoryなど「売り物ではない技術」をいかに浸透させるかを使命としました。
Windows Serverが売れるだけでなく、Active Directoryが広まることでMicrosoft技術が企業の基盤に根付く——その「広める」活動こそが本質的な仕事だったのです。
トレーニング経験を活かし、登壇機会が急増します。新製品が出るたびに講演するようになり、評価される立場へと変わっていきました。最初は緊張の連続でしたが、数分で会場の空気に乗り、技術を伝えることが楽しくなっていったと語ります。
技術を広める工夫:先回りして情報を届ける
社内では「標準資料は高添が作っている」という状態を自ら作り出しました。新製品が出るとすぐに資料を作成し、情報共有文化の中で誰よりも早く発信することを心がけていたといいます。
シアトルでの社内研修「Airlift」などを通じて最新情報を得て、常に先行して動くことで日本の技術者に価値ある情報を届けてきました。
マイクロソフトは個人の意見を尊重する文化があり、上司と議論しても否定されることはありません。この環境が自分に合っていたと高添さんは振り返ります。
12年のエバンジェリスト活動で学んだ「伝える力」
約12年間の活動を通じて、言葉選びの重要性を痛感したといいます。「ネガティブな発言には価値がない」と学び、伝え方のスキルを磨いてきました。
担当した製品はWindows Server 2003 R2から2016まで。MicrosoftがPC中心の時代からクラウドへとシフトしていく変化の中で、常に技術の最前線で情報を発信し続けてきた高添さんのキャリアは、「伝える力」を磨き続けることで形成されてきたものといえます。
まとめ
今回は、日本マイクロソフトのエバンジェリスト・高添さんのキャリアをご紹介しました。
福岡の少年がハードウェアメーカーでカスタマーエンジニアとして働き始め、トレーニング部門での「教えることの楽しさ」との出会いを経て、マイクロソフトへ入社。パートナー支援を担当した後にエバンジェリストへと転じ、約12年にわたって「技術を広める」使命に取り組んでこられました。
高添さんのキャリアから学べることは、「予期せぬ配属や異動も、そこで誠実に取り組むことで次の扉が開く」ということではないでしょうか。面接での正直な回答や、トレーニング部門での前向きな姿勢など、キャリアの転機はいずれも「その場で誠実に動いた」結果として訪れています。
技術を学ぶだけでなく「広める力」を身につけることの大切さ、そして情報を先回りして届ける姿勢は、エンジニアとしてのキャリアを考える上で多くのヒントを与えてくれます。