AWSジャパン営業第一号・西原さんに話を聞く!チャンネル登録者数1万人突破記念インタビュー

この記事の内容

  • AWSジャパン初の営業担当として東京リージョン開設を支えた西原さんのキャリアを紹介します
  • クラウド黎明期に「クラウドとは何か」を一から顧客に説明し続けた現場の実態をお届けします
  • 営業フレームワーク「MEDDIC」やボトムアップ営業哲学など、西原さんの営業思想に迫ります
  • 医療機器業界から外資系IT、HP・AWS・Microsoftと渡り歩いたキャリアの変遷を追います
  • 現在はスタートアップの日本展開支援を手がける起業家としての西原さんの現在地を紹介します

1万人突破記念の特別インタビュー

チャンネル登録者数1万人突破を記念して、特別インタビューを実施しました。今回お話を伺ったのは、AWSジャパン営業第一号として知られる西原さんです。

外資系企業での長いキャリア、クラウド黎明期の現場経験、そして現在のスタートアップ支援――そのすべてが「クラウド業界の進化」を象徴するような歩みでした。


現在の活動と専門領域

西原さんは現在、「シンクロステクノロジー・ジャパン株式会社」の代表を務めています。主に通信会社向けにクラウドシステム構築パッケージを提供しており、日本国内では大手4キャリア、海外でも主要通信企業と取引しています。

専門は通信というよりも、クラウド・クラウドネイティブ技術を活用して海外スタートアップの日本展開を支援することです。過去5〜6年にわたり、スタートアップ企業の立ち上げやエグジットを多面的に支援してきました。現在の会社もその延長線上にあります。


少年期から社会人初期まで:異文化と自立の原点

西原さんは文系出身です。幼少期はスポーツ好きで、父の転勤によりアラスカ州アンカレッジで4年半を過ごしました。英語圏での生活が自然に英語力を育み、後の外資系キャリアに大きな影響を与えました。

大学では農学部に進学しました。生物が得意だったことから選んだだけで、農業を志していたわけではありません。卒業後、最初に就職したのは医療機器メーカーです。ちょうど景気が悪化した時期で、満足のいく就職とは言えませんでしたが、その不満が「自分で道を切り開く力」につながっていきました。

高校時代から「人と同じことはしたくない」と考え、一人暮らしを始め、赤坂でアルバイトをするなど早くから自立した生活を送っていた西原さん。こうした経験が後の行動力や挑戦心の基盤になりました。


医療機器業界でのITとの出会い

最初の勤務先は外資系医療機器メーカーです。当時はまだITが一般的でなく、社内に巨大なオフコン(DEC VAX)が置かれていた時代でした。社会人3年目に初めて支給されたノートPC(Windows 3.1搭載のコンパック製)に触れ、パソコンとネットワークの仕組みに強い関心を持ち始めました。

Microsoft Accessを使って病院のカルテ管理を電子化する試みも行いました。GUIやデータ構造を改善し、技術者ではなかったものの、「仕組みを理解して改善する」ことの面白さに目覚めました。これがITへの第一歩となります。

こうした経験は後にクラウドビジネスに携わる基礎となり、「付加価値としてITを活用する」発想の原型にもなりました。


外資系ITへ転身:営業の本質を学ぶ

医療業界に不満はなかったものの、「ITの可能性をもっと追求したい」という思いから異業種転職を決意しました。20代後半で製造業向け設計ソフトを扱う外資系IT企業へ転職します。入社当初は厳しい環境で、成果を出せなければ3か月で退職という世界でした。しかしここで出会ったのが、営業フレームワーク「MEDDIC」でした。

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この考え方は今でも自身の営業活動の基盤となっており、「シンプルな仕組みほど強い」と西原さんは語ります。


ノベルからHPへ:エンタープライズ営業の基盤形成

激務を経て結婚を機に転職を決意しました。次に入社したのがノベル(Novell)です。ネットワークOS「NetWare」で有名な企業で、ここでの経験がキャリアの転機となりました。

ノベルでの実績が評価され、次にヒューレット・パッカード(HP)とサン・マイクロシステムズの両社から内定を得ました。最終的にHPを選んだのは「一度は大企業で働きたい」という思いからの決断でした。

HPでは金融機関向けのエンタープライズ営業を担当し、10年間同じ顧客と向き合う経験を積みました。提案チームは50人規模に及び、営業・技術・サポートが一体となって動くチーム営業の本質を学びます。保守的な金融業界で粘り強く提案を続け、提案から稼働まで7年を要した案件もありました。

社内政治や調整業務に悩まされる時期もありましたが、同僚や顧客と築いた信頼関係は今も続いているといいます。このHP時代の経験が、西原さんにとって「営業の原点」であり「人の信頼を得る力」のベースになりました。


AWSジャパンへ:クラウド黎明期の挑戦

10年のHP勤務を経て、「もっとスピード感のある環境で挑戦したい」と感じた西原さん。転職先に選んだのがAWSジャパンです。2011年、東京リージョン開設直前に初の営業担当として採用されました。当時のAWSは渋谷クロスタワーの一角を間借りしていた数名規模のチームでした。

クラウドの認知度は低く、「Amazon?クラウド?信頼できるの?」という反応がほとんどだったといいます。最初の1年半は潜在顧客への地道な訪問を重ね、クラウドの安全性と信頼性を説明し続ける日々でした。

意外にも問い合わせは事業部門から多く、製造業や商社がオンデマンド配信やグローバル統合を検討していました。金融業界はまだ遠い存在でしたが、徐々に理解が広がっていったといいます。

一日7件のアポイントを入れる過密スケジュールで、関係維持のためにニュースレターを配信し続けました。その結果、1年半後のAWSサミットでは登壇企業の7割がエンタープライズ企業、そのうち9割が西原さんの担当顧客という成果を上げました。


「課長を捕まえろ」──意思決定のスピードを生む営業哲学

クラウドビジネスでは「小さく始めて早く動く」ことが重要です。西原さんはよく「新進気鋭の課長を捕まえろ」と言っていたといいます。課長クラスは研究開発予算を自由に使える場合が多く、挑戦意欲が高い層です。トップダウンよりボトムアップの方が成功するケースも多いと語ります。

この柔軟な営業スタイルがAWS初期の成長を支えました。一方で組織が拡大するにつれ、ガバナンスが強まり、スタートアップ的な自由さが薄れていきました。創業初期のメンバーが次第に離れていく中で、西原さんも次の挑戦へと進みます。


マイクロソフト時代:Azure日本リージョン立ち上げ

2014年頃、マイクロソフトから声がかかり、Azure日本リージョンの立ち上げ担当として転職しました。再びゼロからの事業構築に携わりましたが、組織規模の大きさゆえに「分業の壁」やスピード感の違いという課題にも直面しました。


まとめ

今回は、AWSジャパン営業第一号として知られる西原さんのキャリアをインタビュー形式でご紹介しました。

医療機器業界でのIT活用体験に始まり、MEDDICという営業フレームワークとの出会い、HPでの10年間にわたるエンタープライズ営業、そしてAWSジャパン黎明期の地道なクラウド普及活動まで、その歩みはクラウド業界の歴史そのものといえます。

特に印象的だったのは、「課長を捕まえろ」というボトムアップ営業の哲学です。大企業の中にいる「挑戦意欲の高い課長層」を起点に動かすという発想は、クラウドの「小さく始めて早く動く」という思想とも深く共鳴しています。

テクノロジーと営業の交差点で常に時代の先を行き続けてきた西原さんのキャリアは、クラウドに携わるすべての方にとって多くの示唆を与えてくれるものでした。