【チャンネル登録者数1000名突破記念】胡田のコンピューター遍歴
この記事の内容
- YouTubeチャンネルが登録者数1000名を突破した記念として、チャンネルオーナーのコンピューター遍歴を紹介しています
- 幼少期のMSX2との出会いから始まり、高校・大学・社会人と各ステージでの印象的なエピソードを振り返っています
- Microsoft MVPを2014年から8年連続受賞しており、Windows・Azureを中心に技術情報を発信しています
- 田舎育ちで情報環境が乏しい中でも、独学と試行錯誤を重ねてコンピューター技術を習得してきた過程が語られています
- 子育て期間を経て、改めてYouTubeでの情報発信に挑戦している姿勢が伝わります
チャンネル登録者数1000名突破に寄せて
チャンネル登録者数が1000名に到達しました。本格的に動画投稿を始めてからしばらく時間がかかりましたが、ひとつの節目を迎えることができました。
勉強会などのイベントでは10名前後を相手に一生懸命話すことも珍しくない世界です。そうした感覚からすると、気軽にボタンひとつで登録できるとはいえ、1000名以上の方にチャンネル登録していただけることは非常にありがたいことです。YouTubeを始めて続けてきてよかった、と素直に感じています。
このチャンネルについて
このチャンネルでは、コンピューター関連の話題を幅広く扱っています。中心となるのはWindowsやMicrosoftのクラウドサービス(Azure)など、仕事でも日常的に使う領域です。その他にも、子供たちと一緒にゲームをしたり、ゲームプログラミングをしたりといった話題も登場します。
職業としてはシステムインテグレーターに勤めており、企業向けのシステムに関する知識や経験が豊富です。個人ユーザーのWindowsに関する相談から、企業システムの話まで対応できるのが特徴です。
また、Microsoft MVPというアワードを2014年から8年連続で受賞しています。WindowsとAzureを中心としたポートフォリオになっています。
幼少期:MSX2との出会い
1979年12月、茨城県鹿島市(当時は鹿島郡鹿島町)生まれです。典型的な田舎育ちで、小学校時代はゲームが大好きでしたが、ファミコンをなかなか買ってもらえず、親戚のおばあちゃんに買ってもらったほどです。
そんな中、親戚からMSX2というパソコンを譲り受けました。最初は「外れパソコン」とも知らず受け取ったのですが、親戚のお兄ちゃんが「これでゲームが作れるんだよ」とBASICで作ったゲームを見せてくれたことが転機になりました。
ゲームが買えないなら、自分で作ればいい
その発想でプログラミングを始めましたが、インターネットも参考書もない田舎では情報を得ることがとても難しく、手探りで試行錯誤を続ける日々でした。
「MSX FAN」との出会いが世界を変えた
しばらく経って、田舎の本屋で「MSXファン」という雑誌に気づきました。この雑誌には自分が持っているMSXを対象にしたプログラミング講座や、付録フロッピーディスクにゲームが収録されており、それを読み解き、改造することでコンピューターへの理解が大きく深まりました。
毎月のお小遣いをすべてこの雑誌に費やすほど夢中になりました。編集部が作り込んだフロッピーの中身やテキスト、ちょっとしたプログラミング講座が、当時の自分にとって唯一の学習環境でした。
残念ながら、中学生の頃にMSXファンは廃刊となってしまいました。それは今でも心残りな出来事として記憶に残っています。
中学時代:孤独なコンピューター少年
中学にはパソコン部があり、入りたい気持ちはありました。しかし当時、「パソコンをやっている」というだけでいじめられるような空気があり、入部に踏み切れませんでした。
それでも、将来はコンピューター関連の仕事に就くと中学1年生の時点で心に決めていました。通っていた塾の塾長から「受験のためだけに勉強するのではなく、将来の目標を定めてそこに向かって歩け」と言われたことが、その決意を固めるきっかけになりました。
「ゲームプログラマーになりたい」「コンピューター関連の仕事に絶対就く」という思いは持ちながらも、迫害を恐れて他人に言う勇気は持てませんでした。しかし自分の中では揺るぎなく決めていたといいます。
学校の先生にコンピューターの可能性を語ったところ「そんなことで空は飛べない」と笑われたこともありましたが、それでもコンピューターが世界を変えると確信していました。
高校時代:念願のパソコン入手と壮絶な復旧劇
中学の早い段階から親に「パソコンを買ってほしい」と何年も訴え続け、高校入学を機についにパソコンを買ってもらえることになりました。
どの機種を買うか、1年ほどかけて真剣に調べました。PC-98、Macintosh、DOS/Vなど複数の選択肢を比較検討した結果、互換CPUを搭載したDOS/V機(Windows 3.1入り)を選びました。
しかしその後、パソコンがうまく起動しなくなるトラブルに見舞われました。原因は、Windowsの起動に必要なファイルを誤って削除してしまったことでした。困った末に「初期化すれば直る」と考えてフォーマットを実行しましたが、これによってOSのインストールファイルも消えてしまい、完全に起動不能となってしまいました。
親に高額のパソコンを買ってもらったばかりで、壊したとは言い出せない状況。そこで考えたのが、自転車で30分ほどの距離にあるケーズデンキに同じ機種が展示されているのを利用する方法でした。
店頭のパソコンを使ってDOSとWindows 3.1のインストールディスクをフロッピーに少しずつコピーし、自宅に持ち帰ってセットアップを進め、また不足分を作りに行く——という往復を何週間も繰り返しました。自宅のパソコンは電源を切れないよう、カモフラージュしながら数日間つけっぱなしにしていたといいます。
その甲斐あって、最終的には自力でWindowsの再インストールに成功。この体験が、コンピューターに対する深い理解と自信の礎になりました。
大学時代:筑波大学で広がった世界
大学は筑波大学の情報学群に進学しました。当時の一般家庭ではまだモデムによる低速接続が当たり前だった時代に、大学には常時接続の高速回線と大量のUnixマシンが揃っており、夢のような環境でした。
学内ではIRCチャットが活発に行われており、優秀な先輩や同期と議論し、学び合う毎日でした。計算機室に入り浸り、深夜まで作業することも日常茶飯事だったといいます。
それまでWindows/DOS系の知識しかなかったところに、Unix系のサーバーやネットワーク技術に触れる機会を得たことで、技術の幅が大きく広がりました。この経験が、後のインフラエンジニアとしてのキャリアにつながっています。
キャリア:システムインテグレーターとしての歩み
就職先はコンピューター系のシステムインテグレーターを選びました。ゲームプログラマーの夢もありましたが、大学の周囲にいた優秀な人たちを見てプログラミングだけでは勝負しにくいと感じ、ソフトウェア知識とインフラ知識を掛け合わせることに活路を見出しました。
1年目からPCのセットアップ作業(1日50台)やデータ移行を担当し、その後はデータセンターでのサーバークラスタリング、Active Directory、Exchange Server、SharePoint、ファイルサーバーの移行・構築など、Windowsサーバーを中心としたインフラ業務に取り組みました。ロサンゼルスやラスベガスへの長期出張など、グローバル規模のプロジェクトも経験しました。
現場での経験を積んだのち、エンジニアのトレーニングやセミナー講師、書籍執筆なども手がけるようになりました。こうした実績が積み重なり、2014年からMicrosoft MVPを連続受賞することになりました。
10年間の充電期間を経て、再スタート
子供が3人おり、子育て期間中の約10年間は、趣味でコンピューターに関わる時間がほとんど取れませんでした。仕事の延長で自宅サーバーを触ることはあっても、純粋な学習・趣味活動は停滞していたといいます。
その時期を乗り越えたことで改めて「また挑戦しよう」という気持ちが湧き上がり、YouTubeでの情報発信を始めたのが今のチャンネルの出発点です。
まとめ
田舎でMSX2と雑誌「MSXファン」を頼りにコンピューターを学び始め、高校時代の壮絶なパソコン復旧劇、筑波大学でのUnix環境との出会い、そしてシステムインテグレーターとして20年近くにわたるインフラエンジニアとしてのキャリアを経て、現在に至ります。
Microsoft MVPを8年連続で受賞し、Windows・Azureを中心とした深い知識と、人前で話す・情報を発信するというスキルを組み合わせたポートフォリオは、希少価値のある存在といえます。
チャンネルでは引き続きMicrosoft技術を中心に、コンピューター関連の情報を幅広く発信していく予定です。リクエストはコメント欄でお気軽にどうぞ。