WIREDのDhruv MehrotraとDell Cameronが2026年6月8日(現地時間)に報じたスクープは、テック業界に波紋を広げた。MetaがRay-Banスマートグラスの companion アプリ「Meta AI」に、未発表の顔認識システム「NameTag」のコードを密かに組み込んでいたという内容だ。Ars Technicaが翌9日に続報として確認したところ、Metaはその報道から1日も経たないうちにコードを削除していた。
「NameTag」とは何だったのか
WIREDの調査によると、5,000万台以上のスマートフォンにインストール済みのMeta AIアプリには、以下の仕組みで動作するよう設計されたコードが含まれていたという。
- スマートグラスのカメラが捉えた顔を生体情報署名(フェイスプリント)に変換する
- ユーザーのデバイス上に保存されたフェイスプリントのデータベースと照合する
- 認識できなかった顔はローカルストレージに切り抜き保存・インデックス化して将来の処理に備える
WIREDによれば、このコードは早ければ2026年1月の時点でアプリに組み込まれていたという。NameTagは同年2月にニューヨーク・タイムズが社内文書を引用して存在を報じていたが、Metaは「最終決定を下していない」と繰り返していた。
Metaの対応——否定から削除へ
WIREDの最初の報道に対して、Metaの広報担当バイスプレジデントのAndy Stone氏は「あくまで探索的な機能であり、今後どうするか最終的な決定はまだ下されていない」と述べた。最高技術責任者のAndrew Bosworth氏はWIREDの報道を「信じられないほど誤解を招く」「まったく不誠実」と激しく批判した。
しかし、WIREDの報道翌日にリリースされたMeta AIの最新バージョンのコードからは、顔認識に関連するすべての要素が取り除かれていた。Ars Technicaが確認した削除内容は以下の通りだ。
- 顔認識ライブラリ本体(報道版には複数の専用ライブラリが存在していた)
- NameTag認識プロセスを動作させるコード一式
- 「Person recognized(人物を認識しました)」アラート機能
- 未認識の顔の切り抜き画像と生体情報署名を保存するローカルフォルダ
Metaはコードを削除した理由についても、今後この機能が復活するかどうかについても、WIRED・Ars Technicaの取材に回答していない。
未回答のまま残るプライバシー上の疑問
WIREDがMetaに事前送付した10の質問はいずれも回答されなかった。未回答事項の中には以下が含まれる。
- NameTagが使用するフェイスプロファイルのデータベースを既に作成しているか否か
- 未認識者の写真・生体情報データをデバイス上にどれくらいの期間保持するか
- そのデータがMetaのサーバーに送信される可能性があるか否か
- ストーカーや虐待者が公共の場で見知らぬ人を特定することへの対策
- 視覚障害者向けの機能として開発しているとの情報への回答
- ユーザーのオプトイン・オプトアウトの設計
プライバシー擁護団体はこのシステムについて、公共の場での人物特定による個人の安全リスクを強く懸念している。
日本市場での注目点
Ray-Ban Metaスマートグラスは現時点で日本では公式未発売であり、国内での入手は容易ではない。ただし本件の本質的な意義は製品の入手可能性よりも、ウェアラブルカメラ搭載デバイス全般に共通するプライバシー問題として捉えるべきだろう。
日本では改正個人情報保護法(2022年全面施行)において、顔認識データを含む生体情報は「要配慮個人情報」として最も厳格な取り扱い規定の対象となっている。仮に同様の機能が日本市場で展開された場合、個人情報保護委員会(PPC)の監督下で相当な規制上の摩擦が生じることは想像に難くない。
また、国内では駅や商業施設でのAIカメラ・顔認証システム導入を巡る議論が活発化しており、今回の件は「ユーザーの知らないところで顔情報が処理されるリスク」を示す具体的事例として参照価値が高い。
筆者の見解
今回の問題で最も深刻なのは、技術的な機能そのものよりも情報開示のあり方だと考える。
「顔認識機能は存在しない」と公式に否定しながら、実際にはその機能を動作させるコードが5,000万台規模のアプリに配信されていた——という事実は、ユーザーとの信頼関係において取り返しのつかないコストを生む。否定→翌日削除という一連の流れが、かえって疑念を増幅させた形だ。
「禁止ではなく安全に使える仕組みを作れ」という観点に立てば、顔認識技術そのものを悪とみなす必要はない。視覚障害者支援や安全なパーソナライゼーションなど、プライバシーに配慮した適切な実装であれば社会的価値は十分にある。問題はユーザーへの事前説明・明示的な同意・オプトイン設計が一切ないまま、事実上本番同然の形でコードが組み込まれていた点だ。
「探索的な機能」と言うのであれば、クローズドなテスト環境で実施するのが技術倫理の基本だ。一般配信版に忍ばせておく合理的な理由はない。スマートグラスというフォームファクターが持つ潜在的な可能性を、自らの不透明な姿勢で損ねていると言わざるを得ない。
出典: この記事は One day after discovery, Meta pulls facial recognition code from its smart glasses の内容をもとに、筆者の見解を加えて独自に執筆したものです。