Engadgetが2026年6月2日に報じたところによると、トランプ大統領は新たな大統領令に署名し、米国政府がAIモデルを評価するための枠組み創設を指示した。当初案から大幅に縮小された内容だが、従来のラissez-faire(自由放任)路線から一歩踏み込んだ規制として注目されている。
大統領令の概要
署名された大統領令は、国家サイバー監督局(Office of the National Cyber Director) に対し、AIシステムが特定したソフトウェア脆弱性の情報を、銀行・地域電力会社・病院といった重要インフラ事業者と事前共有するプロセスの策定を命じている。
具体的には、AI企業が最も強力なモデルを 公開の30日前に自主的に政府へ提出し、安全審査を受けられる 仕組みの構築が求められる。あくまで「任意提出」であり、義務ではない点が重要な論点となっている。
縮小の経緯——業界からの強い反発
Engadgetの報道によれば、草案の段階では 政府に最大90日間の審査期間 を与える内容だったという。テック業界の関係者が強く反発し、業界側は14日間への短縮を求める声も上がったと伝えられている。
トランプ大統領は5月21日に署名予定だったものの、Axiosによれば業界からの圧力を受けて式典を延期。大統領自身も「元の大統領令のある側面が気に入らなかった」と記者団に語ったと報じられており、ホワイトハウスでの小規模な協議を経て、現在の縮小版に落ち着いたとPoliticoが伝えている。
専門家の評価——「不透明さ」への懸念
Engadgetは発表前に、Center for Democracy and Technology(民主主義・技術センター) の政策担当副社長であるSamir Jain氏に取材を行った。
Jain氏は「重要インフラ向けのテスト、特に能力が広く公開される前に脆弱性を特定・修正するためのテストという考え方は、非常に理にかなっている」と評価した一方、審査プロセスの透明性について懸念を示した。
「いかなる政権もAIモデルのリリースの可否・時期・方法について恣意的な権力を行使できるような状況は避けたい。セキュリティを口実に、政治的・思想的理由でモデルをブロックしたり不利にしたりするために使われる可能性がある。不透明な手続きはその可能性を許容してしまう」とJain氏は指摘した。
トランプ政権のAI政策における転換点
Jain氏はEngadgetに対し、「規制があったとしても、これまではイデオロギー的な目標に向けられていた」と指摘。昨年のAI行動計画はOpenAIなどへの規制をほとんど設けず、「反DEI」観点の大統領令が中心だった。今回は「政権がAI(の普及)に伴う実際のセキュリティリスクを認識し、対処する必要があると気づいた」という意味での方向転換だとJain氏は評価している。
日本市場での注目点
日本の企業・エンジニアが注目すべき点は以下の通りだ。
規制の波及効果: 米国の規制枠組みは、グローバルに展開するAI企業のリリーススケジュールに影響を与える可能性がある。今後30日間の任意審査が義務化されたり、他国が類似規制を導入したりすれば、最新AIモデルの日本市場投入時期にも影響が出る場合がある。
「任意」の実質的圧力: 表向きは「自主提出」でも、米政府との関係を重視する大手AI企業は事実上の義務として対応する可能性が高い。主要プロバイダーのリリースサイクルを引き続き注視したい。
重要インフラでの活用: 金融機関・電力・医療でのAI活用を進める日本企業にとっては、米国の審査プロセスから公開される脆弱性情報が参考になる場面もあるだろう。
筆者の見解
今回の大統領令は「AIのリスクに政府が正面から向き合い始めた」という意味で、一定の前進と言える。重要インフラを標的にした脅威の文脈で、AIの脆弱性を事前に特定・共有するという発想そのものは筋が悪くない。
しかし、Samir Jain氏が指摘する「不透明性」の問題は本質的な懸念だ。「審査基準は何か」「審査結果はどのように公開されるか」「誰がチェックするのか」——このプロセスの透明性なしに制度の公正性は担保されない。セキュリティを名目にした恣意的な運用を防ぐ仕組みが伴わなければ、規制の正当性は揺らぐ。
業界からの圧力で90日が30日に縮小され、さらに義務ではなく任意提出にとどまった経緯は、AI企業の政治的影響力の大きさを改めて示している。規制の設計は「強すぎず、弱すぎず」が難しいが、透明性の確保だけは外せない条件だ。
日本でもAIを実業務・重要インフラに組み込む動きが加速するなか、こうした国際的な規制の動向は決して対岸の火事ではない。米国の枠組みがどのように運用されるかを注視しつつ、自社のAI活用における安全性評価の仕組みを主体的に整備することが求められる時期に来ている。
出典: この記事は Trump signs scaled-back AI cybersecurity order の内容をもとに、筆者の見解を加えて独自に執筆したものです。