Apple Siliconを搭載したMacが広く普及した今、「ローカルでLLMをトレーニングしてみたい」と考えるエンジニアは少なくないはずだ。そんな挑戦に真正面から取り組んだブログ連載記事「Training an LLM in Swift」が、HackerNewsで大きな注目を集めている。ライブラリもフレームワークも使わず、純粋なSwiftコードでGPT-2互換モデルをトレーニングし、行列演算のスループットをGFlop/s(ギガフロップ)からTFlop/s(テラフロップ)——すなわち1000倍以上——へ引き上げた記録だ。
機械学習の心臓部:行列乗算とは何か
LLMの学習は「フォワードパス(推論)」と「バックワードパス(誤差勾配計算・重み更新)」で構成される。この両フェーズで支配的な計算コストを占めるのが行列乗算(Matrix Multiplication)だ。数十億パラメータを持つ現代のLLMでは、1ステップのトレーニングで膨大な行列積が実行される。行列乗算を速くすることが、そのままLLMトレーニングの高速化に直結する。
本連載がベースラインとするのは、Andrej Karpathy氏が公開したllm.c(約1,000行のC言語によるGPT-2互換実装)だ。「Swiftで同じことをやって、C言語より速くしてやろう」という挑戦的なモチベーションが出発点となっている。
最適化の4段階:CPU→SIMD→AMX→GPU
記事では行列乗算の最適化を段階的に積み上げていく過程が丁寧に解説されている。
1. ナイーブ実装(GFlop/s台)
最初の三重ループによる実装はスカラー演算に依存しており、性能は低い。出発点として計測値を取り、改善幅を可視化するための基準となる。
2. SIMD(Single Instruction, Multiple Data)
SwiftはSIMD型を標準サポートしている。一度の命令で複数の浮動小数点数を並列処理することでCPUの演算ユニットを効率的に活用でき、ナイーブ実装から大幅に性能が向上する。
3. AMX(Apple Matrix coprocessor)
Apple Siliconに搭載されたAMXは、行列演算に特化した専用ユニットだ。公式ドキュメントはほぼ存在しないが、研究者やエンジニアの逆解析によりその活用法が知られるようになっている。AMXを使いこなすことで、SIMDをさらに大きく超える性能向上が得られる。
4. Metal(GPU)
最後の切り札がGPUだ。AppleのGPUプログラミングフレームワークMetalを使ったShaderコードも紹介されており、GPU並列演算によって最終的にTFlop/sという領域に到達する。
実務への影響:ローカルLLMの可能性が広がる
この記事が示すのは単なる学術的な実験ではない。Apple Siliconを搭載したMac上で、現実的なコストでローカルLLMをトレーニングできるというポテンシャルだ。
日本のエンジニア・IT管理者にとって押さえておきたいポイントを整理する。
- プライバシー・コンプライアンスへの対応: クラウドAPIへのデータ送信に制約がある業界(医療・金融・法務)では、ローカルでの推論やファインチューニングが重要な選択肢になる。Apple SiliconのMacはそのための現実的なプラットフォームになりうる
- フレームワークの内側を理解する価値: PyTorchやTensorFlowのような高レベルフレームワークは便利だが、内側で何が起きているかを知らないと性能の壁にぶつかった際に対処できない。「ライブラリなし実装」は学習コストが高いが、深い理解を得る最短ルートでもある
- Swiftの実力を再評価: iOSアプリ開発の言語というイメージが強いSwiftだが、システムプログラミング領域でもC言語と同等のパフォーマンスを達成できることをこの記事は実証している
筆者の見解
AIエージェントや生成AIの実装に深く関わっていると、「結局のところLLMの中で何が動いているか」という問いに向き合う機会が増えてくる。本記事のような「基礎から組み上げる」アプローチは、高レベルAPIを呼び出すだけの実装では得られない本質的な理解をもたらしてくれる。
Karpathyのllm.cが「何も隠さない実装」として広く支持されている理由も同じだ。抽象化のレイヤーを剥がして初めて、なぜ特定の設計判断が性能に効くのかが見えてくる。
日本のエンジニアコミュニティで気になるのは、次々と登場する新技術の「情報を追いかける」ことに忙しすぎて、「実際に手を動かして理解を深める」ことが後回しになりやすい傾向だ。本記事のような深掘りコンテンツこそ、積極的に手を動かして試す価値がある。情報の量を増やすよりも、一つの実装を深く理解する経験の方が、今の時代には圧倒的に価値が高いと考えている。
ローカルLLM、Apple Silicon最適化、Swiftシステムプログラミング——いずれも今後さらに注目度が上がる領域だ。次回以降の連載でAppleのフレームワーク群(Core ML、Metal Performance Shaders等)との比較評価が行われる予定とのことで、続きも楽しみにしている。
出典: この記事は Training an LLM in Swift, Part 1: Taking matrix mult from Gflop/s to Tflop/s の内容をもとに、筆者の見解を加えて独自に執筆したものです。