AIコーディングツールが標準装備となりつつある今、あえて3ヶ月間「手書きコーディング」に立ち返った開発者の実験記録がHacker Newsで大きな反響を呼んでいる(スコア324点、315コメント)。AIエージェント構築の最前線にいた人物だからこそ気づいた、コーディングの本質的な価値とは何か。
「AIの時代」にあえて逆張りした理由
Barcelonaのスタートアップ・Aily Labsで2年間AIエージェントを構築してきたMiguel Conner氏は、2026年3月にニューヨーク・ブルックリンのRecurse Center(RC)というプログラミングリトリートに参加した。RCは無料で6〜12週間、自由にプログラミングに集中できる環境で、多様なバックグラウンドを持つ参加者とのコラボレーションが特徴だ。
Conner氏はCursorをいち早く採用し、DeepSeek R1やMeta Llama 3の論文を輪読してきたAIヘビーユーザーである。そんな彼が「AIをほぼ使わずに」コーディングに集中する時間を取ったのはなぜか。
手書きコーディングで実は「2つのことを同時に」やっていた
Conner氏が気づいたのは、手書きでコードを書くとき、実は二つのことを並行してやっているということだ。
- 「何を書きたいかを明確化する」 ── 目的の言語化
- 「コードベースを学ぶ」 ── 理解の深化
AIコーディングエージェントを使うと、プロンプトに書いた通りのコードは確かに生成される。しかし「何を書きたいかが曖昧なまま」指示を出すと、エージェントが多くの仮定を自動的に埋める。コードは動くが、自分がそのコードベースを深く理解しているとは言いにくい状態が生まれやすい。
これは生産性書籍『Deep Work』で知られるコンピュータサイエンス教授Cal Newportが指摘する「思考の筋トレ」の喩えとも重なる。明確なメモや報告書を書く苦労はアスリートのジムトレーニングに相当し、排除すべき「面倒」ではなく、その仕事の本質的なスキルだという視点だ。コーディングも同じで、その「苦労」の中に学びがある。
「すごいAIユーザー」は「すごいプログラマー」でもあった
Conner氏が職場で気づいた、もう一つの重要な観察がある。彼の職場で「すごいプログラマー」だった人たちは、同時に「すごいAIユーザー」でもあったというのだ。
深い技術知識があるからこそ、AIツールを高度にレバレッジできる。逆に言えば、基礎的な理解が薄いまま「AIに任せる」を繰り返すと、AIの出力を正しく評価する力も育ちにくい。AIは優秀なチューターにもなり得るが、学習者側に問いかける力がなければ、その恩恵は限られる。
実務への影響——日本の開発現場で考えること
AIコーディングツールが日本の開発現場にも急速に普及している今、このアプローチにはいくつかの実践的な示唆がある。
コードレビューの質が問われる時代 AIが生成したコードをレビューする際、「なぜこの実装になっているか」を理解できなければ、バグや設計上の問題を見逃すリスクが高まる。生成コードを「承認するだけ」のレビューは形骸化しやすい。
新しいコードベースへのオンボーディング 既存プロジェクトに参加するとき、AIに「全部やってもらう」と理解が追いつかない場面がある。意図的に手書きで追いかける時間を部分的に設けることで、コードベースへの理解が速まるケースもある。
生産性と学習のバランス設計 チームとして「速く出す」と「深く学ぶ」を意識的に設計することが、長期的な技術力の維持につながる。特に若手エンジニアの育成方針は、今一度見直す価値がある。
筆者の見解
この記事を読んで「やっぱり手書きが大事、AIは使いすぎ注意」という結論に飛びつくのは少し早計だと思う。
Conner氏の本質的な気づきは「AIを使うな」ではなく、「AIを高度に使いこなす力の正体は、深い技術理解だ」という点にある。これは重要な観察で、「AIがあれば誰でも同じ成果が出る」という誤解を解いてくれる。
筆者が大切だと感じるのは、「何をAIに任せ、何を自分で理解すべきか」という設計力だ。AIエージェントが自律的に動き続ける仕組みを構築できる人の価値は今後さらに高まるが、その仕組みを正しく設計するには、中で何が起きているかを把握している必要がある。
Conner氏のリトリートは、その「把握する力」を鍛えるための意図的な投資だ。情報を追いかけ続けるより、実際に手を動かして深く理解する経験を積む——この姿勢は、AIの進化が速い今だからこそ、むしろ価値が増している。
表面的な操作スキルよりも「何が起きているかを理解する力」こそが、AI時代の技術者としての真の競争力になる。それはAI礼賛でも手書き回帰でもなく、両者を使い分けられる「設計力」の話だ。
出典: この記事は I’m spending months coding the old way の内容をもとに、筆者の見解を加えて独自に執筆したものです。