Microsoftエバンジェリスト 高添さんに話を聞く!【チャンネル登録者数1万人突破記念インタビュー企画】

Microsoftエバンジェリスト 高添さんに話を聞く!チャンネル登録者1万人突破記念インタビュー この記事の内容 日本マイクロソフトのエバンジェリスト・高添さんへの特別インタビューをもとに、30年以上のITキャリアの軌跡を紹介します バブル期の就職活動からカスタマーエンジニア、トレーニング講師を経てマイクロソフト入社に至るまでの道のりを振り返ります 「教えることの楽しさ」に気づいたエピソードや、マイクロソフト入社時の面接秘話など、キャリア形成の転機となった出来事を取り上げます エバンジェリストとして12年以上にわたり「技術を広める」使命に取り組んできた高添さんの仕事観に迫ります 技術を先回りして届ける情報発信のスタイルや、「伝える力」を磨いてきた経験についても紹介します はじめに:チャンネル登録者1万人突破記念の特別ゲスト チャンネル登録者数1万人突破を記念し、日本マイクロソフトのエバンジェリスト・高添さんにお話を伺いました。 IT業界で30年以上の経験を持ち、現在も第一線で活躍されている高添さん。学生時代から現在に至るまでのキャリアの軌跡、そして「技術を伝える」という仕事への思いを語っていただきました。 キャリアの起点:福岡の少年がITに出会うまで 高添さんのITキャリアは1994年に始まります。 福岡の田舎で育ち、子どもの頃は大工だった父の影響で木工が好きな少年でした。ナイフで木を削り、犬や仮面を彫るなど、ものづくりへの興味が強かったといいます。 学生時代はスポーツ一筋で、野球やサッカーに打ち込みITとは無縁の生活を送っていました。大学ではサッカー部所属の強豪校に進むも、特待生が多くレギュラーにはなれず、アルバイトに集中することになります。早く自立したいという思いから「早く社会に出たい」と強く考えていたそうです。 バブル期の就職活動とITとの出会い 就職活動の時期はまさにバブル期。工業大学卒ということもあり、毎日のように企業から「入社してほしい」というハガキが届く時代でした。 地元福岡を離れるつもりはなく、福岡に拠点を持つ企業を中心に検討していた高添さん。その中で「これからITが伸びるかもしれない」と感じ、IT系の企業を選びます。 当時はまだパソコンも普及しておらず、企業内のITといえば汎用機やUNIXを使う一部の先進企業だけでした。そんな時代に、ものづくりが好きだった高添さんはハードウェアメーカーへ入社することになります。 初めての現場:工具箱を持って顧客対応の日々 入社後の配属は予想外のものでした。希望していた福岡勤務ではなく東京勤務となり、カスタマーエンジニア(CE)として関東一円を担当することになります。 プリンターなどの修理を行う日々は肉体的にもハードでしたが、顧客に感謝されることが何より嬉しかったと振り返ります。人との会話が苦手だった高添さんも、この経験を通じて自然にコミュニケーション力を身につけていきました。 転機:ネットワークの波と「教えることの楽しさ」 3年ほどCEとして働くうちに次のステップを模索し、ネットワーク部門への異動を希望します。ちょうどTCP/IPが普及し始めた時期でした。 しかし現実は厳しく、意見が通らず部門を追い出されてしまいます。そこで異動したのがトレーニング部門でした。最初は不本意でしたが、上司の「社会人としてやるべきことをやろう」という言葉に救われたといいます。 ここでMicrosoft技術を中心に学びながら、新人研修の講師として活動を始めます。教えることで自分が理解していない部分が見え、さらに学ぶ——そのプロセスが新鮮で、「教えることの楽しさ」を知ったと語ります。 スキルの深化とマイクロソフトとの最初の接点 ネットワーク資格やMicrosoft認定トレーナー(MCT)を取得し、Windows NT、Windows 2000 Server、Active Directoryなどを習得していきます。 名古屋のMicrosoftから「Active DirectoryやExchange Serverのトレーニングをしてほしい」と依頼され外部講師として登壇すると、評価が高く再度依頼を受けるなど、Microsoftとの関係が始まりました。 この時出会った名古屋の担当者が、高添さんの人生に大きな転機をもたらします。「合わない会社にいつまでもいるな」「人生を変えろ」と強く助言され、その言葉に背中を押されて転職を決意。履歴書を渡し、「自分の力で入っておいで」と送り出され、マイクロソフトへの道が開かれました。 マイクロソフト入社:正直さが評価された面接 外資系企業への挑戦には不安もありました。「英語が話せないとダメなのでは」と思っていたものの、実際には英語力を問われることはなく、技術的・人間的な対話が重視されたといいます。 最初の面接では「UNIXを使おうとしているお客様にどう説明するか」と問われ、「UNIXで行きましょう」と正直に答えた結果、不合格となります。しかしその正直さが評価され、パートナーチームの面接へと進むことになりました。 圧迫面接の中でも「失敗しても挑戦します」と答えた姿勢が評価され、採用につながります。入社後、マネージャーから「待っていたよ」と言われた瞬間、「この人についていこう」と心に決めたそうです。 パートナー支援からエバンジェリストへ 入社後はパートナー企業への技術支援やトレーニングを担当します。製品情報や方針をいち早く伝えることで、企業のポテンシャルを最大化する仕事でした。 初期は日立製作所グループを担当し、素晴らしい技術者たちに多くを学びます。その後、HPやIBMなど外資系企業も担当し、各社のプロフェッショナルな姿勢に刺激を受けたといいます。 4年ほど経った頃、社内のスペシャリストから「インフラ系エバンジェリストチームを作るから来てほしい」と声をかけられます。ここからエバンジェリストとしてのキャリアが始まりました。 エバンジェリストという仕事:技術を「広める」使命 当時、エバンジェリストは業界全体に影響力を持つ存在でした。高添さんは第2世代として、Active Directoryなど「売り物ではない技術」をいかに浸透させるかを使命としました。 Windows Serverが売れるだけでなく、Active Directoryが広まることでMicrosoft技術が企業の基盤に根付く——その「広める」活動こそが本質的な仕事だったのです。 トレーニング経験を活かし、登壇機会が急増します。新製品が出るたびに講演するようになり、評価される立場へと変わっていきました。最初は緊張の連続でしたが、数分で会場の空気に乗り、技術を伝えることが楽しくなっていったと語ります。 技術を広める工夫:先回りして情報を届ける 社内では「標準資料は高添が作っている」という状態を自ら作り出しました。新製品が出るとすぐに資料を作成し、情報共有文化の中で誰よりも早く発信することを心がけていたといいます。 シアトルでの社内研修「Airlift」などを通じて最新情報を得て、常に先行して動くことで日本の技術者に価値ある情報を届けてきました。 マイクロソフトは個人の意見を尊重する文化があり、上司と議論しても否定されることはありません。この環境が自分に合っていたと高添さんは振り返ります。 12年のエバンジェリスト活動で学んだ「伝える力」 約12年間の活動を通じて、言葉選びの重要性を痛感したといいます。「ネガティブな発言には価値がない」と学び、伝え方のスキルを磨いてきました。 担当した製品はWindows Server 2003 R2から2016まで。MicrosoftがPC中心の時代からクラウドへとシフトしていく変化の中で、常に技術の最前線で情報を発信し続けてきた高添さんのキャリアは、「伝える力」を磨き続けることで形成されてきたものといえます。 まとめ 今回は、日本マイクロソフトのエバンジェリスト・高添さんのキャリアをご紹介しました。 福岡の少年がハードウェアメーカーでカスタマーエンジニアとして働き始め、トレーニング部門での「教えることの楽しさ」との出会いを経て、マイクロソフトへ入社。パートナー支援を担当した後にエバンジェリストへと転じ、約12年にわたって「技術を広める」使命に取り組んでこられました。 高添さんのキャリアから学べることは、「予期せぬ配属や異動も、そこで誠実に取り組むことで次の扉が開く」ということではないでしょうか。面接での正直な回答や、トレーニング部門での前向きな姿勢など、キャリアの転機はいずれも「その場で誠実に動いた」結果として訪れています。 技術を学ぶだけでなく「広める力」を身につけることの大切さ、そして情報を先回りして届ける姿勢は、エンジニアとしてのキャリアを考える上で多くのヒントを与えてくれます。

December 6, 2025 · 1 min · 胡田昌彦

AWSジャパン営業第一号 西原さんに話を聞く!【チャンネル登録者数1万人突破記念インタビュー企画】

AWSジャパン営業第一号・西原さんに話を聞く!チャンネル登録者数1万人突破記念インタビュー この記事の内容 AWSジャパン初の営業担当として東京リージョン開設を支えた西原さんのキャリアを紹介します クラウド黎明期に「クラウドとは何か」を一から顧客に説明し続けた現場の実態をお届けします 営業フレームワーク「MEDDIC」やボトムアップ営業哲学など、西原さんの営業思想に迫ります 医療機器業界から外資系IT、HP・AWS・Microsoftと渡り歩いたキャリアの変遷を追います 現在はスタートアップの日本展開支援を手がける起業家としての西原さんの現在地を紹介します 1万人突破記念の特別インタビュー チャンネル登録者数1万人突破を記念して、特別インタビューを実施しました。今回お話を伺ったのは、AWSジャパン営業第一号として知られる西原さんです。 外資系企業での長いキャリア、クラウド黎明期の現場経験、そして現在のスタートアップ支援――そのすべてが「クラウド業界の進化」を象徴するような歩みでした。 現在の活動と専門領域 西原さんは現在、「シンクロステクノロジー・ジャパン株式会社」の代表を務めています。主に通信会社向けにクラウドシステム構築パッケージを提供しており、日本国内では大手4キャリア、海外でも主要通信企業と取引しています。 専門は通信というよりも、クラウド・クラウドネイティブ技術を活用して海外スタートアップの日本展開を支援することです。過去5〜6年にわたり、スタートアップ企業の立ち上げやエグジットを多面的に支援してきました。現在の会社もその延長線上にあります。 少年期から社会人初期まで:異文化と自立の原点 西原さんは文系出身です。幼少期はスポーツ好きで、父の転勤によりアラスカ州アンカレッジで4年半を過ごしました。英語圏での生活が自然に英語力を育み、後の外資系キャリアに大きな影響を与えました。 大学では農学部に進学しました。生物が得意だったことから選んだだけで、農業を志していたわけではありません。卒業後、最初に就職したのは医療機器メーカーです。ちょうど景気が悪化した時期で、満足のいく就職とは言えませんでしたが、その不満が「自分で道を切り開く力」につながっていきました。 高校時代から「人と同じことはしたくない」と考え、一人暮らしを始め、赤坂でアルバイトをするなど早くから自立した生活を送っていた西原さん。こうした経験が後の行動力や挑戦心の基盤になりました。 医療機器業界でのITとの出会い 最初の勤務先は外資系医療機器メーカーです。当時はまだITが一般的でなく、社内に巨大なオフコン(DEC VAX)が置かれていた時代でした。社会人3年目に初めて支給されたノートPC(Windows 3.1搭載のコンパック製)に触れ、パソコンとネットワークの仕組みに強い関心を持ち始めました。 Microsoft Accessを使って病院のカルテ管理を電子化する試みも行いました。GUIやデータ構造を改善し、技術者ではなかったものの、「仕組みを理解して改善する」ことの面白さに目覚めました。これがITへの第一歩となります。 こうした経験は後にクラウドビジネスに携わる基礎となり、「付加価値としてITを活用する」発想の原型にもなりました。 外資系ITへ転身:営業の本質を学ぶ 医療業界に不満はなかったものの、「ITの可能性をもっと追求したい」という思いから異業種転職を決意しました。20代後半で製造業向け設計ソフトを扱う外資系IT企業へ転職します。入社当初は厳しい環境で、成果を出せなければ3か月で退職という世界でした。しかしここで出会ったのが、営業フレームワーク「MEDDIC」でした。 M - - - - - - E D M E D D I C D e c e e d h I t o c c e a C r n i i n m の i o s s t p 6 c m i i i i つ s i o o f o の c n n y n 要 素 B C P P u r r a y i o i e t c n r e e r s i s : : a : : 定 決 : : 顧 社 量 裁 選 意 客 内 的 権 定 思 課 で な 者 基 決 題 推 成 に 準 定 を 進 果 会 を の 理 し を う 理 流 解 て 示 解 れ す く す す を る れ る 把 る 握 味 す 方 る を 作 る この考え方は今でも自身の営業活動の基盤となっており、「シンプルな仕組みほど強い」と西原さんは語ります。 ...

November 29, 2025 · 1 min · 胡田昌彦

世界初のCCIE8冠+CCDE取得者に話を聞く!【チャンネル登録者数1万人突破記念インタビュー企画】

世界初のCCIE8冠+CCDE取得者に話を聞く!【チャンネル登録者数1万人突破記念インタビュー企画】 この記事の内容 ゲーム・音楽少年から就職氷河期を経てITエンジニアへと転身した岡山さんのキャリア形成の軌跡を紹介します Cisco最高位資格「CCIE」全8分野と「CCDE」を世界で初めて取得するまでの挑戦と資格勉強の方法論に迫ります TAC(Technical Assistance Center)への派遣経験など、技術力を飛躍的に高めた実務経験について解説します 仲間との切磋琢磨、自己投資としての資格取得への姿勢など、トップエンジニアとしてのマインドセットを学べます 「エンジニアが市場価値を高められる会社」を理念に掲げた起業家としての挑戦についてもご紹介します ゲーム少年から音楽青年へ ― 意外な原点 チャンネル登録者数1万人突破を記念した特別インタビュー企画、第1回のゲストは世界で初めてCiscoの最上位資格「CCIE」全8分野と「CCDE」を取得した岡山さんです。20年以上にわたってネットワーク業界に携わり、現在は起業家としても活躍されています。 岡山さんの出身は茨城県で、幼少期はRPGをいかに早くクリアするかに情熱を注ぐゲーム好きでした。プログラミングやゲーム制作には興味がなく、「遊ぶ側」として楽しむタイプだったそうです。 中学・高校時代になると音楽に傾倒し、軽音楽部でギターを弾き、作曲も担当するロック少年へと変貌します。スポーツは苦手で、音楽が生活の中心でした。その情熱が「本場の音楽を学びたい」という思いに繋がり、アメリカのコミュニティカレッジへの留学へと踏み出すことになります。 渡米で身につけた「言語力と粘り強さ」 専攻はアート・ミュージック。授業はすべて英語で、最初は何を言っているか理解できず、周囲から「日本へ帰った方がいい」と言われるほど苦労されたそうです。しかし「何くそ」と奮起し、積極的に話しかけることを続けた結果、わずか3〜4ヶ月で日常会話を習得。英語力とコミュニケーション能力の基礎を築きました。 一方で数学やコンピューターサイエンスには大変苦戦し、成績はD評価。「当時は全然わからなかった」と笑いながら振り返っておられました。 帰国後の苦境とITとの出会い 卒業後はしばらくアメリカを放浪し、日本へ帰国します。しかし就職氷河期の厳しい状況の中、100社近くに落ち続け、アルバイト生活を送ることになりました。結婚を考えていた女性(現在の奥様)が働く中、自身は「完全なヒモ状態」と表現されるほど精神的にも追い詰められていた時期でした。 転機は派遣会社での面談です。担当者に叱責された後、適性検査で「パソコンに向いている」と判定され、PCサポートセンターへの派遣業務を紹介されたことがITとの出会いでした。 サポート業務から資格取得へ ― 自力で道を切り開く 研修ではCPUやメモリの基礎から学び、NECのサポートセンターでWindowsやMS-DOSの問い合わせ対応を担当しました。トラブル対応を通じてOSやレジストリの仕組みを独学で習得し、一般ユーザーよりも詳しいレベルへと成長していきます。 Microsoft担当者の勧めでMCP(Microsoft Certified Professional)資格に挑戦し、1ヶ月の集中学習で合格。続けてMCSE(Microsoft Certified Systems Engineer)7冠を3〜4ヶ月で達成されました。 「学校の勉強は苦手だったけれど、目標が明確なら集中できるタイプだった」と語る岡山さん。この経験が後の資格取得ラッシュへの土台となっていきます。 ネットワークの世界へ ― CCNAからエンジニアの道へ Microsoftサポート経験者の助言を受け、エンジニア職への転身を決意します。並行してCisco資格にも挑戦し、3回目の受験で**CCNA(Cisco Certified Network Associate)**に合格しました。 ネットワークの原理に苦戦しながらも理解を深め、エンジニアとしての道を歩み始めた岡山さん。「稼げる技術者になる」という強い決意を胸に、努力を重ねていきます。 激務と成長 ― 現場で鍛えられた技術力 初期の仕事ではUNIX運用を担当しましたが、より挑戦的な仕事を求めてネットワークやサーバー案件へと活躍の場を広げます。全国を飛び回り、設計・構築・トラブルシューティングを経験し、問題解決で顧客に感謝されることが大きなモチベーションでした。 当時は夜遅くまで働く激務の日々でしたが、その経験が「技術の基礎」を築いたと振り返っています。やがて「より論理的な仕事をしたい」という思いが強くなり、ネットワーク専業を志すようになります。 CCIEへの挑戦 ― “IT業界の司法試験"に挑む 世界に500人ほどしかいなかった**CCIE(Cisco Certified Internetwork Expert)**を目指す決意を固めます。受験は8時間に及ぶラボ試験で、合格率はわずか3%。受験料は18万円、トラップ満載の実践試験です。 実務経験を積むため、Cisco TAC(Technical Assistance Center)への派遣を行う企業に転職しました。ここでメモリダンプ解析やL2/L3トラブル対応を担当し、ネットワーク技術が飛躍的に向上したといいます。 難関資格を次々と制覇する ― 世界初への道 TAC在籍中にCCNP(Cisco Certified Network Professional)を取得し、次にIP電話技術への関心を持ちます。難関のCCIE Voiceに何度も受験を重ねて合格し、続けてCCIE Securityにも挑戦、5回目でついに合格しました。 試験料や渡航費で1回30万円以上かかることもありましたが、自己投資として資格取得に集中する姿勢を貫きました。勉強スタイルは平日3時間、週末は丸1日という徹底的なスケジュール管理でした。資格を重ねることで技術体系が整理され、理解が加速していったといいます。 4つ目のCCIE Service Providerは積み上げた知識を活かし、わずか2ヶ月で合格。こうして資格を重ねるうちに、ネットワーク技術全体を俯瞰できるようになっていきました。 仲間との切磋琢磨、挑戦の連鎖 「そこまでやらなくても」と言われることも多かったといいますが、仲間の存在が大きな支えでした。フリッツさん、故・きこさんと資格取得を競い合い、互いに励まし合いながら挑戦を続けました。周囲から「全部取れるんじゃないか」と期待されるようになり、挑戦が自分自身のブランディングにもつながっていきます。 ...

November 22, 2025 · 1 min · 胡田昌彦

【チャンネル登録者数2000人記念!】胡田のIT業界でのキャリア形成作戦

【チャンネル登録者数2000人記念】胡田のIT業界でのキャリア形成作戦 この記事の内容 IT業界で20年以上やってきた筆者が、キャリア形成の方針と作戦を振り返る 「1点突破より総合力」「マイナーな領域で勝負する」というキャリア戦略の考え方 大学時代のアルバイト経験や就職選択が後のキャリアにどう影響したか 継続的な学習・アウトプット・外部露出がもたらすプラスのループ 好きなことを仕事にして継続することの重要性 はじめに チャンネル登録者数が2,000人に到達しました。このチャンネルは主に企業で働くITプロの方をメインターゲットにしており、かなりニッチな内容です。それにもかかわらず、月平均100人のペースで登録していただいており、自分でも驚いています。 今回は、IT業界で20年強やってきた筆者が、どのようなキャリア形成の作戦でやってきたのか、何が良かったか、逆に何をやらなければ良かったか、そういった話をまとめていきます。どなたかの参考や教訓になれば幸いです。 キャリア形成の基本方針 まず、筆者が意識してきた方針を整理します。 なるべく早くからたくさんいろいろな経験をする 1点突破ではなく、総合力で勝負する あえてマイナーな領域で勝負する 趣味と仕事が一緒の状態を作る 継続する この5つが軸になっています。それぞれの背景にある考え方を以下で説明していきます。 大学での気づき:自分の限界と総合力の重要性 筆者は筑波大学の情報学類でコンピューターサイエンスをきちんと学びました。この経験は「知識ベースの部分が全然違う」という意味で非常に良かったと感じています。 一方で、大学に入って周りを見渡すと、自分が「大したことない」ということがすぐに明らかになりました。ソフトウェアを書く能力や技術を極めて1点突破しようとしても、周りにはそれをはるかに上回る人たちがゴロゴロいたのです。 「1点で勝負するのではなく、総合力でいくしかない」 この考え方は大学に入ってすぐに固まり、それがそのまま現在のキャリアのベースになっています。 また、コンピューターを学ぶ環境では、人とのコミュニケーションが苦手な人も多かったことに気づきました。逆に言えば、「うまく話す」「人とうまくやる」という能力で差をつけられるということです。スポーツや音楽など、コンピューター以外の経験も含めた総合力が重要だと感じるようになりました。 ボランティアサークルという経験 大学ではコンピューター系のサークルではなく、社会福祉研究会というボランティアサークルに参加しました。100人以上の規模の団体で、副会長も務めました。施設に入って子供たちに勉強を教えたり、障害を持つ方とレクリエーションをしたりする活動を通じて、人とのつながりや偏見を持たない接し方など、コンピューターとは別の大切なことを学びました。 アルバイトで積んだ多様な経験 大学時代はさまざまなアルバイトをしました。これが後のキャリアにとって大きな社会勉強になっています。 デジタル写真屋さんでのWeb制作:プロのカメラマンの仕事を見ながら、Webサイトの作り方を学んだ NPO団体のWebサイト作成:一人で要件定義から制作・納品まで担当 PCショップでの販売支援:フォトレタッチソフトの販促担当として全店舗トップの売上を記録した日もあった つくばのベンチャー企業でのIT系雑用:ネットワーク構築やサーバー立ち上げなどを経験 個人で仕事をしている方からの受注:WebのCGIプログラムで予約システムを作成・納品 これらの経験を通じて、IT系の仕事が本当に自分に向いているのか、どのレベルでできるのかを確かめることができ、お金も稼げて社会勉強にもなりました。 就職の選択:インフラ × Microsoft というニッチ戦略 就職にあたって、筆者はプログラムを書く仕事ではなくインフラエンジニアを選び、さらにMicrosoft系のインフラが多い会社に入りました。この選択はかなりニッチです。 大学ではUnix系の文化の方が「本物」とされ、Windowsは下に見られる傾向がありました。しかし筆者はあえてその逆を選びました。理由は以下の通りです。 Windowsが好きだったこと Unix系はソースコードを見て深く掘れるが、競技人口が多く自分では太刀打ちできないと感じた Microsoft/Windows系はメインストリームでありながら、ディープに行ける人が少ない=競技人口が少ない 競技人口が少ない領域なら自分でも戦える 加えて、会社の規模も意図的に小さいところを選びました。大企業に入って大きなチームの一員として部分的に関わるよりも、小さい会社で小さいお客さんとやり取りしながら全体像を把握できる環境の方が、総合力が身につくと判断したためです。 成長を加速させた要因:良い師匠とひたすらな自己学習 入社1〜4年目の頃、周りにとても詳しくて教えてくれる人がいたことが非常に幸運でした。 わからないことを自分でも勉強しながら、その方がどういうツールを使っているか、デスクトップをどう配置しているか、どんな作業の仕方をしているかを横で見て学ぶ。「盗む」感覚で吸収することで、成長のスピードが大幅に上がりました。 一方で、教えてくれる人はずっと一緒にいられるわけではありません。最終的には自分で勉強し続けることが不可欠です。 「気合で理解する」という姿勢 誰も教えてくれないことも多くありました。たとえばダンプ解析やパケットキャプチャの読み方は、参考書もほとんどなく、情報を調べても難しい。それでも「気持ち悪くて知りたいから」という気持ちで、うまくいったときとそうでないときのパケットを徹底的に比べて見続ける。 何時間でも何日でも、分かるまでやめない。その姿勢を続けることで、人に教わらなくても理解できるようになっていきました。 「ロジックを理解すること」が最重要。人間が作ったものには必ず理屈がある。その作り手の意図を考えながら理解していくことが、次の理解を速くしていく。 継続的な学習が生む圧倒的な差 IT業界は新しいものがどんどん出てきます。勉強することは当たり前ですが、実際にちゃんと勉強し続けている人は意外と少ないのが現実です。 1日1時間の勉強を365日、それを何年も続ければ、やらない人との差は圧倒的に開いていきます。 何かわからないことが出てきたら調べる・勉強する 余裕があれば本を読む、実際に環境を作って動かしてみる プログラムを書いてみる、手を動かして理解する この積み重ねが「いろんなことがわかって繋がっていく」良いループを生み出します。 英語の重要性 情報の多くは英語で提供されています。会議やプレゼン、Microsoft系のセッション資料も英語が多い。学生時代は「テストで点を取るため」の勉強だったので効率が悪かったですが、社会人になってから「使う場面があるから勉強する」という動機に変わってからは、かけた時間が大きく活きるようになりました。英語はぜひ継続して勉強することをおすすめします。 アウトプットと外部露出の重要性 勉強したことを定着させる最も効率の良い方法は人に教えることです。アウトプットは学習効果を高めるだけでなく、自分の「宣言」にもなります。 勉強会で発表すると決めてしまえば、やらざるを得ないので勉強が進む 社内で「これをやります」と手を挙げて、そこから勉強するという逆順も有効 筆者は意識的に外部露出できる仕事を増やすようにしています。 インタビューを受けて記事になる機会には積極的に手を挙げる イベントでの登壇も「やります」と言ってしまう ブログ、YouTube、雑誌への寄稿など個人メディアでも発信 インターネットで名前を検索すると山ほどヒットする状態を作ることが、新しい仕事が入ってくる流れにつながっています。 ...

May 28, 2022 · 1 min · 胡田昌彦

【Microsoft MVPダブル受賞】TAICHIさんへのインタビュー【#ヘビメタ、#Microsoft365、#PowerPlatform】

Microsoft MVPダブル受賞!TAICHIさんに聞く、ヘビメタからMicrosoft 365の道 この記事の内容 ヘビーメタルギタリストからMicrosoft MVP受賞者へ至る異色のキャリアパス SharePoint Server 2007から始まったMicrosoft技術との出会いと深化 「シンプルイズベスト」を貫くSharePoint/Microsoft 365活用哲学 Power Platformコミュニティでの斜め上な活動(楽器アプリで演奏会!) コミュニティ参加を楽しく続けるためのマインドセット 音楽からITへ——異色のキャリアの始まり TAICHIさんは1976年(昭和51年)生まれ。幼い頃から音楽が好きで、大学時代はバンド活動に打ち込みました。ジャンルはヘビーメタル。「稼げないのはわかっていた」と語りつつも、音楽への情熱はその後も長く続きます。 大学卒業後は就職氷河期の中、居酒屋の親会社に就職。しかし1日最低15時間労働・休日もほぼなしという劣悪な環境に1年で見切りをつけます。その後は音楽仲間との縁でデジタルミュージック系のギタリスト・作曲家として細々と活動。アニメのキャラクターソング(某人気テニスアニメなど)にも携わりました。 音楽だけでは安定した収入が得られないため、大学時代から趣味でやっていたWebサイト制作を活かして派遣社員としてWeb系の仕事に就きます。当時はまだ「企業に1サイトもない」時代。Webデザイナーとしての活動がIT業界への本格的な足がかりとなりました。 SharePoint Server 2007との運命的な出会い Web系の派遣を続ける中で、社内イントラサイトの更新業務を経験します。そこからSharePointの世界へ踏み込むきっかけが訪れました。 ある派遣先の面接で「SharePoint、知ってる?」と聞かれ、まったく知らないにもかかわらず「中古車でもいいから釣ってきて入って」とその場で採用されたそうです。こうしてSharePoint Server 2007がTAICHIさんのMicrosoft技術の起点となりました。 SharePoint導入当初は、コードが苦手なTAICHIさんにとって決して簡単ではありませんでした。「足を踏み入れたら沼がすごくて」と振り返ります。しかし標準機能でもポチポチ操作でそれなりに使えるという特性が、プログラミングが苦手な自分にも「いけそうだ」と感じさせてくれたといいます。 「シンプルイズベスト」——10年以上貫いてきた哲学 TAICHIさんがSharePoint・Microsoft 365に関わる中で一貫して持ち続けているポリシーが、**「シンプルイズベスト」**です。 カスタマイズすれば様々なことができるのはわかっている しかし管理面・メンテナンス性を考えると、標準機能で事足りるならそれで十分 ユーザー部門の要件をすべて実装しようとするとコストが膨大になる デザイン・UX・アクセシビリティの観点から説得力のある言葉で「標準機能に寄せる」交渉をすることが腕の見せ所 「技術を駆使するより、標準機能でいかに目的を達成するか。手段が目的にならないようにすること」——これはSharePointを知っている方なら深くうなずける考え方ではないでしょうか。バージョンアップのたびに苦労する独自カスタマイズの山を見てきたからこそ生まれた哲学です。 アウトプット解禁——ブログ開始とユーザー目線の情報発信 7万人規模の企業のIT部門に属し、社内SharePointの運用を担っていた時期、TAICHIさんは外部へのアウトプットを切望していました。先人たちのブログに助けられた経験から、「自分もお世話返しがしたい」「後続の人たちが困らないように」という思いがあったからです。 しかし当時の上司から「ダメ」と言われ続け、7年間にわたって社内ブログのみでTipsを記録し続けました。そのメモは最終的に600件を超えるほどになったそうです。 転機となったのは転職です。新しい会社では「アウトプットしていいですか」と確認したところ「全然OK」と回答をもらい、ようやく外部ブログをスタートさせることができました。 TAICHIさんのブログ・情報発信の特徴はユーザー目線です。 IT部門のエンジニア向けの難しい技術情報ではなく、一般ユーザー向け SharePointやMicrosoft 365を使うのはコードを書けない普通のユーザーが大半 そういった方々が困っていることを解決したいという一貫した姿勢 これが結果的に幅広いアクセスを生み、継続的な情報発信につながっています。 現在の主軸:SharePoint × Microsoft Teams Microsoft 365の幅広いサービスのうち、TAICHIさんが特に注力しているのはSharePointとMicrosoft Teamsの2つです。 Teamsはコラボレーションのハブとして多様なサービスと連携できる そこにSharePointや各種Microsoft 365サービス、Power Platformが組み合わさる メール系(Exchange/Outlook)はあまりカバーせず、チャットツールへの移行を支持する立場 YouTubeチャンネル「ホーム365」では、Microsoft TeamsのTipsや「知らないと危ない仕様」などを発信。また**Power Appsで楽器アプリを作って演奏会を開く「パワーアップスオーケストラ」**という斜め上な活動も行っており、楽しみながら技術普及を図っています。 Power Platformと市民開発者の時代 Power Platformについて、TAICHIさんは興味深い視点を提示しています。 「ローコード・ノーコードといっても、コネクターを作るなど難しい部分はエンジニアが担う。市民開発者がそれをポチポチ使うことで共存できる。ローコードであっても、プログラマー的な設計思想や勘所は大事」 特に強調しているのが、ノーコードで作れるからといって設計思想が不要なわけではないという点です。「アプリケーションを作る・システムを作るときの考え方」はローコードであっても必要であり、それが欠けると運用・メンテナンスで行き詰まることになります。 一方で、Power Platformが「市民開発者」という新しいプレーヤーを生み出し、以前はアウトプットが少なかったエンドユーザーや情報システム部門の方々が積極的に登壇・発信するようになってきた点も歓迎しています。 ただし、「うちの上司が理解してくれない」「うちの会社のITリテラシーが低い」という愚痴的な発信については苦言も呈しています。「それよりも、こうやって課題を克服できましたという建設的な話につなげてほしい」というのがTAICHIさんのスタンスです。 YouTube活動:IT系と音楽系、2つのチャンネル TAICHIさんはYouTubeチャンネルを2つ運営しています。 ...

March 18, 2022 · 1 min · 胡田昌彦

【チャンネル登録者数1000名突破記念】胡田のコンピューター遍歴

【チャンネル登録者数1000名突破記念】胡田のコンピューター遍歴 この記事の内容 YouTubeチャンネルが登録者数1000名を突破した記念として、チャンネルオーナーのコンピューター遍歴を紹介しています 幼少期のMSX2との出会いから始まり、高校・大学・社会人と各ステージでの印象的なエピソードを振り返っています Microsoft MVPを2014年から8年連続受賞しており、Windows・Azureを中心に技術情報を発信しています 田舎育ちで情報環境が乏しい中でも、独学と試行錯誤を重ねてコンピューター技術を習得してきた過程が語られています 子育て期間を経て、改めてYouTubeでの情報発信に挑戦している姿勢が伝わります チャンネル登録者数1000名突破に寄せて チャンネル登録者数が1000名に到達しました。本格的に動画投稿を始めてからしばらく時間がかかりましたが、ひとつの節目を迎えることができました。 勉強会などのイベントでは10名前後を相手に一生懸命話すことも珍しくない世界です。そうした感覚からすると、気軽にボタンひとつで登録できるとはいえ、1000名以上の方にチャンネル登録していただけることは非常にありがたいことです。YouTubeを始めて続けてきてよかった、と素直に感じています。 このチャンネルについて このチャンネルでは、コンピューター関連の話題を幅広く扱っています。中心となるのはWindowsやMicrosoftのクラウドサービス(Azure)など、仕事でも日常的に使う領域です。その他にも、子供たちと一緒にゲームをしたり、ゲームプログラミングをしたりといった話題も登場します。 職業としてはシステムインテグレーターに勤めており、企業向けのシステムに関する知識や経験が豊富です。個人ユーザーのWindowsに関する相談から、企業システムの話まで対応できるのが特徴です。 また、Microsoft MVPというアワードを2014年から8年連続で受賞しています。WindowsとAzureを中心としたポートフォリオになっています。 幼少期:MSX2との出会い 1979年12月、茨城県鹿島市(当時は鹿島郡鹿島町)生まれです。典型的な田舎育ちで、小学校時代はゲームが大好きでしたが、ファミコンをなかなか買ってもらえず、親戚のおばあちゃんに買ってもらったほどです。 そんな中、親戚からMSX2というパソコンを譲り受けました。最初は「外れパソコン」とも知らず受け取ったのですが、親戚のお兄ちゃんが「これでゲームが作れるんだよ」とBASICで作ったゲームを見せてくれたことが転機になりました。 ゲームが買えないなら、自分で作ればいい その発想でプログラミングを始めましたが、インターネットも参考書もない田舎では情報を得ることがとても難しく、手探りで試行錯誤を続ける日々でした。 「MSX FAN」との出会いが世界を変えた しばらく経って、田舎の本屋で「MSXファン」という雑誌に気づきました。この雑誌には自分が持っているMSXを対象にしたプログラミング講座や、付録フロッピーディスクにゲームが収録されており、それを読み解き、改造することでコンピューターへの理解が大きく深まりました。 毎月のお小遣いをすべてこの雑誌に費やすほど夢中になりました。編集部が作り込んだフロッピーの中身やテキスト、ちょっとしたプログラミング講座が、当時の自分にとって唯一の学習環境でした。 残念ながら、中学生の頃にMSXファンは廃刊となってしまいました。それは今でも心残りな出来事として記憶に残っています。 中学時代:孤独なコンピューター少年 中学にはパソコン部があり、入りたい気持ちはありました。しかし当時、「パソコンをやっている」というだけでいじめられるような空気があり、入部に踏み切れませんでした。 それでも、将来はコンピューター関連の仕事に就くと中学1年生の時点で心に決めていました。通っていた塾の塾長から「受験のためだけに勉強するのではなく、将来の目標を定めてそこに向かって歩け」と言われたことが、その決意を固めるきっかけになりました。 「ゲームプログラマーになりたい」「コンピューター関連の仕事に絶対就く」という思いは持ちながらも、迫害を恐れて他人に言う勇気は持てませんでした。しかし自分の中では揺るぎなく決めていたといいます。 学校の先生にコンピューターの可能性を語ったところ「そんなことで空は飛べない」と笑われたこともありましたが、それでもコンピューターが世界を変えると確信していました。 高校時代:念願のパソコン入手と壮絶な復旧劇 中学の早い段階から親に「パソコンを買ってほしい」と何年も訴え続け、高校入学を機についにパソコンを買ってもらえることになりました。 どの機種を買うか、1年ほどかけて真剣に調べました。PC-98、Macintosh、DOS/Vなど複数の選択肢を比較検討した結果、互換CPUを搭載したDOS/V機(Windows 3.1入り)を選びました。 しかしその後、パソコンがうまく起動しなくなるトラブルに見舞われました。原因は、Windowsの起動に必要なファイルを誤って削除してしまったことでした。困った末に「初期化すれば直る」と考えてフォーマットを実行しましたが、これによってOSのインストールファイルも消えてしまい、完全に起動不能となってしまいました。 親に高額のパソコンを買ってもらったばかりで、壊したとは言い出せない状況。そこで考えたのが、自転車で30分ほどの距離にあるケーズデンキに同じ機種が展示されているのを利用する方法でした。 店頭のパソコンを使ってDOSとWindows 3.1のインストールディスクをフロッピーに少しずつコピーし、自宅に持ち帰ってセットアップを進め、また不足分を作りに行く——という往復を何週間も繰り返しました。自宅のパソコンは電源を切れないよう、カモフラージュしながら数日間つけっぱなしにしていたといいます。 その甲斐あって、最終的には自力でWindowsの再インストールに成功。この体験が、コンピューターに対する深い理解と自信の礎になりました。 大学時代:筑波大学で広がった世界 大学は筑波大学の情報学群に進学しました。当時の一般家庭ではまだモデムによる低速接続が当たり前だった時代に、大学には常時接続の高速回線と大量のUnixマシンが揃っており、夢のような環境でした。 学内ではIRCチャットが活発に行われており、優秀な先輩や同期と議論し、学び合う毎日でした。計算機室に入り浸り、深夜まで作業することも日常茶飯事だったといいます。 それまでWindows/DOS系の知識しかなかったところに、Unix系のサーバーやネットワーク技術に触れる機会を得たことで、技術の幅が大きく広がりました。この経験が、後のインフラエンジニアとしてのキャリアにつながっています。 キャリア:システムインテグレーターとしての歩み 就職先はコンピューター系のシステムインテグレーターを選びました。ゲームプログラマーの夢もありましたが、大学の周囲にいた優秀な人たちを見てプログラミングだけでは勝負しにくいと感じ、ソフトウェア知識とインフラ知識を掛け合わせることに活路を見出しました。 1年目からPCのセットアップ作業(1日50台)やデータ移行を担当し、その後はデータセンターでのサーバークラスタリング、Active Directory、Exchange Server、SharePoint、ファイルサーバーの移行・構築など、Windowsサーバーを中心としたインフラ業務に取り組みました。ロサンゼルスやラスベガスへの長期出張など、グローバル規模のプロジェクトも経験しました。 現場での経験を積んだのち、エンジニアのトレーニングやセミナー講師、書籍執筆なども手がけるようになりました。こうした実績が積み重なり、2014年からMicrosoft MVPを連続受賞することになりました。 10年間の充電期間を経て、再スタート 子供が3人おり、子育て期間中の約10年間は、趣味でコンピューターに関わる時間がほとんど取れませんでした。仕事の延長で自宅サーバーを触ることはあっても、純粋な学習・趣味活動は停滞していたといいます。 その時期を乗り越えたことで改めて「また挑戦しよう」という気持ちが湧き上がり、YouTubeでの情報発信を始めたのが今のチャンネルの出発点です。 まとめ 田舎でMSX2と雑誌「MSXファン」を頼りにコンピューターを学び始め、高校時代の壮絶なパソコン復旧劇、筑波大学でのUnix環境との出会い、そしてシステムインテグレーターとして20年近くにわたるインフラエンジニアとしてのキャリアを経て、現在に至ります。 Microsoft MVPを8年連続で受賞し、Windows・Azureを中心とした深い知識と、人前で話す・情報を発信するというスキルを組み合わせたポートフォリオは、希少価値のある存在といえます。 チャンネルでは引き続きMicrosoft技術を中心に、コンピューター関連の情報を幅広く発信していく予定です。リクエストはコメント欄でお気軽にどうぞ。

August 21, 2021 · 1 min · 胡田昌彦