北海道
北海道。行ってきました。札幌と小樽にだけ行って、いろいろ食べてきました。いやぁ幸せだったのぅ。(写真はあまり取ってないのですが)
北海道。行ってきました。札幌と小樽にだけ行って、いろいろ食べてきました。いやぁ幸せだったのぅ。(写真はあまり取ってないのですが)
明日から北海道に行ってきます。旅の目的は「食」です。うまいもん食ってくるぞー。
今日は、昨日から引き続き、ついてない日でした。朝から電車の中でへんなおじさんにからまれるし、頭は痛いし、帰りは棚にかばんを置き忘れてしまうし・・・。 やれやれ。明日はいい日になるといいな。
今日、帰りに会社の先輩と東陽町の駅の階段を下りていたら、後ろからけたたましい音が・・・とおもったらなにかに激突されて、思わずひざをついてしまいました。 何かと思えば人が転がり落ちてきたのでした・・・(−−;; アジア系外国人の方で多分中国の方かなぁ・・・もしかしたら今日の小泉首相の靖国神社参拝を受けての抗議行動だったのかもしれませんね(それはないと思う)。 おかげ様でバックが壊れて、ひざをちょっとだけすりむきました。でも、大事に至らなくてよかった。後数秒タイミングがずれていたら危なかったです。なんともなくてすんだのは少林寺拳法をやっていたおかげ!・・・ということにしておこうかな。やっぱり生命保険は必要だわと思うのでした。 明日になってひざが痛かったりしたらいやだなぁ。
嫁が休職・・・ということで、色々と毎月のお金の計算とかしてみました。25万とかそんなレベルで収入が減るわけで、今までどおりになにも考えないわけにはいかないわけです。 うーん。節約しよう。 みんなよく同じくらいの収入のはずなのに、車持ったりマンション買ったり家買ったり出来るよなぁ。どうなってるんだろう?
今日は誕生日でした。
初めから口論をすれば平行線をたどることがわかっていて、お互い自分の経験したことしか語ることができず、お互い自分の信じるところがある場合。さらにいうと、自分の行ってることの方が(自分の経験は自分の経験でしかないから)相手の言っていることよりも正しいと思っている場合。 話をするだけ無駄なのか、特に結論がでなくても話をすること自体に意味があるのか、そもそもどっちも勘違いなのか。 それとも、そういうことがあったことに対して一歩引いてそれを観察、考察することに意味があるのか。 もしくはこのようなことを思うこと自体に意味があるのか。 それとも、このようなことを思うこと自体に意味があるのかどうかを考えること自体に意味があると考えること自体に意味があると考えること事態に意味があると考える・・・・・ふぅ。 やれやれ。 「ひとそれぞれだよね、自分の経験したことしか実感できないんだし、他人は他人だから本当の意味で理解することなんてできないし。」 後ろ向きな相互理解、と無関心。 まぁ、これでいいとは思わないけど。そうじゃなくしようと思う相手は非常に限定されてしまうので、結局短期的な結論は同じかもしれません。反省?反省ではないなぁ・・・・。
これなかなかすごいですね。
なかなか重いです。色々な意味で。
大人になって何が幸せになったかっていうと、好きな本を好きなだけ(とはいっても限度はありますけどね)買えるようになったことですね。 で、大人になって困るようになったのは本が増えすぎて困ることです。本もデジタル化したいな。
http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~jjksiro/kensaku.html(重いので注意!)にて自分の苗字を検索してみました。結果は登録件数70件で、18152位とのこと。順位一覧には10000位までしか乗っていないので・・・。私の苗字を知らない人は当ててみてください(笑。 うーん。でもそれなりにレアだけどそれなりにいるなぁ。どこかで出会ってみたいものだけれども。
検索できるようになったので、自分で検索してみて、過去の自分を振り返ってみたりしました。精神的な波が激しいですな。我ながら。そりゃ心配されるわ・・・。
じゃぁ、時間があるから自分のために時間を使って・・・と思うわけですが、具体的にやりたいことがないわけです。 IT業界で働いているんだら、もちろん日々新しい情報はチェックしてますし、この分野なら人には負けないというものももてていると思ってます。現実問題として、今の会社でふられる仕事なら、どんなものでもしっかりできる自信も今は持っています。 ですが、同時に、自分が今のポジションでできることの限界も感じています。仕事の話になってしまうのであまり詳しくはかけないのですが、結局いろいろな人がいて、いろいろな会社があって、組織があって、それぞれ自分の持ち場のようなものがあって、どの会社に、どの組織にいたところで自分のできることには限界があるわけです。いや、当たり前なんですけどね。だからどこにいっても同じなのか?・・・どうだろう。 それは組織のもんだいではなくて、個人の心の持ちようの問題なのか?それとも、自分がやっていることの違いなのか? よくわかりません。 「幸せな家庭を築く」のを人生の大きなひとつの目標としてきた私にとってはきちんと仕事をしてお金を稼いでというのははずせないファクターです。仕事っていうのはそういうものだとして、仕事以外の部分でなにかやりがいを見つければいいのか。 そもそも、仕事とか、家族とか、社会っていうのは何なんだろう。
最近ほぼ日刊イトイ新聞を最近ちょこちょこと読んでます。前からすすめられてたけれどもあまり見ていなかったのですが、この間本を読んでからちょこちょこみるようになりました。 今日は「社長に学べ」というコーナーの岩田さんの話を読んで、「ふむふむ」と感心しきりでした。やっぱり成功している会社の社長になるような人はすごい人だなぁ・・・と。儲けるお金の比較なんてどうでもいいんだけど、人間としての器の大きさというか誠実さというか、そういうところでは負けたくないなと思うのでした。 が、今の自分の状況はどうだろう・・・。大学の時よりもいけてない気がしますね。やっぱり自分の生活が自分で納得できていないみたいです。
ちょっと前までTodoに入れてたのですが、結局一度決めた期限なんてとっくに過ぎてしまったけれども、はっきりしたものは見えてきてません。昔なら、「こういう職業について、家庭をもって・・・」と将来の自分の姿をある程度明確に抱いて、それに向かってしっかり努力していたんですけどね。 昔考えていた将来の理想像にある程度ちかいところに今自分がなってしまったというのが大きいのだろうとは思います。もちろん今はすごく安定しているし、幸せだなと思っているのですが、完全に満足しているわけではもちろんないし・・・。ないものねだりなのかもしれないけど、どうなんだろう。 もう一段階成長するためには、自分のしたいことをもう一度考え直さなくちゃ・・・。
よめのお腹のなかでなにものかがうごめいています。すごい。
現状に不満があるときに「環境を自分が望むように変える」方法には大きく2つあって、「自分で自分の周りの環境を改革する」というのと、「自分が自分の望む環境に移動する」というのがあると思うのですが、どっちが自分の望みなのか、いまいちわかりかねながら、改革に向けて動いております。 改革をするとなると、大なり小なり組織の改革になり、周りの人にも影響が出るわけですが、その根底にあるのは「自分」への思いなのか、「組織」への思いなのか。そのあたりは個々人によって違いが出てくるようです。根底にあるものが異なっているが、表に出てくるところはいっしょだからということで手を組むと、やっぱりどこかの段階で歪は出てきてしまいますよね。そうならないかがちょっと心配です。
話をするためには、話をしようとするモチベーションが必要なわけです。話をしているときには、もちろん話の内容も重要なわけですが、『お互いに話をする気になっている』ということを高く評価すべきだとおもうのです。 小さいころにはよく「あなたのために叱っている」とか「おおきくなったら誰も注意してくれないぞ」といわれたものですが、今となってはそのことばが非常に重く、実感となって感じられるわけです。 何時からこうなったのか?年齢的なものなのか、世代的なものなのか、環境的なものなのか。わからないけれど、自分にいえるのはただ、自分がもう若くもなくなり、純粋でもなくなったということだけです。 『そうやって自分だけわかっているふりをして、わけしり顔でいるのはいやらしくない?』 そうですね。ごめんなさい。
『ほっとけない 世界のまずしさ』のサイトを紹介してもらい、ホワイトバンドを注文しました。こういう活動には大賛成です。
おなかが大きくなってきました。はたからみてもわかるくらい。なかなかすごいものです。